2018/05/13 18:19にnoteで公開したやつ

いつからか、“アーティストっぽい”と形容されることが多くなった。 それは見た目なのか、思考なのか、雰囲気なのかなんなのか。

アートとか表現とかアイデンティティとかそんなのはわりと好きだったから、そのなんでなのかはあまりわかっていなかったけど、すこし嬉しさはあった。

だけど、僕はアーティストじゃない。僕はアーティストになれない。っていう気持ちがいつも付いてまわった。

なんでだろう。(“なんで”については書きたいことあるからまた書こう。)

“僕はアーティストじゃない”“僕はアーティストになれない”の根っこには何があるのか、まだまだ分からないけど、とりあえず2つ。

① 美大を目指さなかったことへのなんとなくの心残り ② 表現することへの怖さとできないという思い込み(“できない(ニガテ)”についても書きたいことがあるからまた書こう。)

① 美大を目指さなかったことへのなんとなくの心残り

僕はたいして真面目な高校生じゃなかったように思ってる。(まあ記憶は曖昧。) 中学までは勉強はしなくてもできるでやってきてしまっていたから、高校の勉強は全然そんなことはなくて、地学と世界史くらいしか得意科目がなかった。 まあ、記憶だし曖昧なものだし、当時の僕がなにを考えていたかもあんまりおぼえていない。 だけど、たぶん17歳くらいで進路を考える時に、一瞬だけど美大とか行ってみたいな〜と思っていた気がする。たぶん思っただけで、美大受験のための予備校をネットで調べたくらいのはずだけだと思う。

美術部でもないし、予備校に通うほどの思いもないし、それ以上に小学校の頃から早稲田に行きたかったのと、平和学しか頭になかった僕は、あんまり考えもせずに美大という進路をどこかにやってしまった。

まあ今思えば、②が邪魔していたのかもしれない

なんで①を今も考えるのかというと、②もあるし、漫画の「ブリーピリオド」(山口つばさ)とか「かくかくしかじか」(東村アキコ)を読んでいると、胸がざわつくし、なんとなくの後悔みたいなのを感じ得ずにいられないから、確かなんだと思う。

もちろん、美大に行かずともアートしてる人はたくさんいる。だけどまあ、フィールドに飛び込むのがニガテ(あ!)な僕は、そんな入り口にスティックしちゃんだと思う。

まあ、だから、やっぱり②につながってくる。

② 表現することへの怖さとできないという思い込み

僕は自分がニガテなことに挑戦するのがとっても怖い。 まあニガテと思っているのだからあたりまえかもしれないけれど。 そんでもってなんで怖いのかといういうと、なんでなんだろう。 なんでかを考え突き詰める前にやっぱ、誰にどう思われるかがあるんだろうなっていうのはたぶんホンネ。

勉強もそうだけど、僕は昔からとくに努力もせずにできてしまうことが多かった。勉強以外でも、手先は器用だし、言葉をつかうこともそこそこできたと思う。学校中に入る分にはみんなが着実に積み上げる中で僕はひょいと80%くらいにすぐいちゃってみたいな感じで。

だけど、決定的にできなかったのが球技と水泳だった。(これについても書きたいことがあるんだった。)

なんでも大体人並み以上にできてしまう僕はできないことを人に見せられなくなっていた。